第4回 「障害者認定されたい?」

義眼を使用している当事者 dekoさんによるコラム連載。

幼少期から大人へ。当事者は何を思い、何を感じているのか。一つのヒントになれば。


皆さんこんにちは。


ここ近年、

繁華街などを歩いたり、近代的な施設・駅のホームを見てみれば

「スロープ」であったり、

「ホームドア」の設置など、

バリアフリー化も徐々に浸透して行ってるんだなと思うことが有ります。


視力の低い方や視野が狭い方、そして盲の方などはやはり日常生活で不備の有る設備や、歩行者・自転車・車両など不意に動く物に対して危険を感じ、時には怪我や命の危険にまで繋がるアクシデントをニュースで見ることも多いです。


本当に「見える」と言うことは生活の中で大きな役割を持っていると思います。


そのなかで私のような片眼が見えていない者はどう言う存在なのか?

親や大人からの考え、

子供での考え、

さまざま有ると思いますが…、


例えば

「片眼の事情が分からない人」

が片目が見えてない人物を知ってざっくりと考えるのは

「その人が健常者かどうか」

と言う部分が1番安直な所だと思います。



要は

「健常者か障害者どちらに該当するのか」

ですが…。



法令で片眼視は、

見える方の視野が狭窄せず視力が0.6以上(矯正込み)有れば障害者認定にはなりません。



「視覚障害者の基準」

○5級 ・両眼の視力の和が0.13以上0.2以下のもの・両眼による視野の2分の1以上が欠けているもの○6級 一眼の視力が0.02以下、他眼の視力が0.6以下のもので両眼の視力の和が0.2を超えるもの


障害者認定は7級から有るそうですが、視覚障害者は6級からしか有りません。

ちなみに視力が、

0.5以上有れば原付免許は取得出来て、

0.7以上と視野角155度以上が有れば普通自動車免許も取得出来ます。

確かに身体的理由で運転免許が取れなければ、障害者認定に近い存在なんだなと納得する部分は有ります。


著者は幼い頃から片眼視ですが、見える方の目は健康で仕事も人並み以上に(笑)出来ますし、運転免許も普通に取れてますので自身が障害者に該当すると思ったことが有りません。


でも、

片眼視である方のなかには、

「片目での生活は困難だから一律で障害者に該当しても良いのでは?」

と思われている方も居るみたいですし、

普通に生活が送れていても障害者認定には金銭面や就職などで「有利な部分が有る」と感じて認定して欲しいと思われたり気持ちが揺らぐ方もネットで拝見します。

大抵どちらの方も

「障害者認定したくない人は申請しなければ良いだけ」

と考えられて選択出来る権利を欲してると思います。



義眼使用者のなかには違う方向からも考えられていて、

義眼は必要なのに条件によって義眼製作時に費用補助が出る人と出ない人が居て、

このおかしな条件から認定により製作費用補助を得る選択肢が必要ではないのか?

などと問われるのを見たことが有ります。

これは義眼の補助制度の改善が必要な話なので抱き合わせた話にはなって欲しく無いなとは思います。



人の考え方は様々ですし、実際に途中失明で片眼視になられた方には日常生活をつらく過ごされている方もおられます。

そして片眼だと両眼見える人より何でも不利だと考えるのも分かるのですが…。



けれども私の個人的な思いは、

「選択肢自体が存在して欲しくない」

なんです。



それにはこう言う経験があります。

「片眼視だと障害者じゃ無いの?」

「片眼なのに何も補助無いの?」

健常で過ごせていると思っている自分がこれを言われるとかなり堪えます。

少なくともこの言葉は私を同等には見て貰えていない部分も見え隠れしてるんですよね。



社会に出て特に気に触ったのは会社関係で、

中規模以上の会社だと障害者認定された者が会社に居ることは会社の利益なので障害者に該当しないと分かると「残念がられた」ことが有りました…。


「障害者雇用率制度」(平成30年4月現在)

従業員が一定数以上の規模の事業主は、従業員に占める身体障害者・知的障害者・精神障害者の割合を「法定雇用率」以上にする義務があります。(障害者雇用促進法43条第1項)
民間企業の法定雇用率は2.2%です。従業員を45.5人以上雇用している企業は、障害者を1人以上雇用しなければなりません。


《「障害者」の範囲》障害者雇用率制度の上では、身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳の所有者を実雇用率の算定対象としています(短時間労働者は原則0.5人カウント)


何が言いたいかと言うと、

選択肢が存在すると

「使わないと損」

「なぜ手帳取得しないの?」

「折角取得出来るのに」

と言う他者の利得思想が本人の尊厳を無視した所で動く可能性を危惧しています。


そして最も嫌いを持っているのが、

「他の片眼の人は障害者認定してるんだからあなたも同じでしょ?」

「取得しないならウチの会社には要らない」

と思われること。


…………、


世の中、

障害者認定する必要の有る理由を知っていて理解が有る、

そんな人は本当に一握りです。

仕事に対しての扱いは特にです。

実力が有っても先に

「一般と違う評価基準の枠」

の中に入れられてしまっては正しい人物評価はされなくなるかもしれません。

職種の幅もかなり狭くなると思います。


私はこうなることがとても嫌なのです。

ネットで障害者認定について調べたりすると

「メリット、デメリット」

をよく載せていることが有るのですが、

そもそも論で言えば、

「得より損が目立つなら…」

とデメリットを避けて認定を選択するような方には最初から必要ない認定制度だと思っています。

本来障害者認定とは健常な人の生活に近付けて行く為で、本当に必要だから申請するもの。

この辺り勘違いされて「得するなら」と障害者認定したい方が居るなら残念な考え方だなと思っています。



私が印象に残った言葉があります。

昔「弱視」の方がネットで載せていた言葉ですが…、

「(白)杖も持たずに普通に歩いてる人が、公共の場で手帳出せば、間違いなく白い目でみられます。」

「目が見えないふりをしてる、都合の良いときだけ見えるふりをしてる」



仮に今後規制が変わって、

今の自分のような者が他者からは分かりにくい基準で障害者認定されて、

見た目で明確な判断材料が無ければ、

確かに似たようなことを思われるような気がします。

車椅子マークを付けて駐車場に停めている車なのに車椅子を積めそうに見えなければ、

「あれ?」

「ホントに車椅子マーク必要なの?」

って私なら考えます。

例え車椅子が折り畳んでトランクに入っていようが他人には見えないですからね…。






世の中の

「見た目から入りそこで判断する」

浅い考えが変わることはそう簡単では無いですから、こう言う部分で周りの考えることが安直なのは世の常だと思っています。



近年のネット社会。

良くも悪くも発信される情報や生の声は多彩になって来ました。

それを知る度に

「自分とはどう言う者なのか?」

と葛藤は続くけど、

自分なりの答えを持てると気持ちで負けることはない…かな。

私は助けられるより、手を差し伸べられる人間になりたい。





小児の義眼の会「まもりがめの会」

網膜芽細胞腫・小眼球症・無眼球症その他幼少期の疾患などで小さな頃から眼球・視力を失った子供・そして親、成長した当事者のための義眼の会として発足しました。

相談や情報交換のできる場所ー旅するお話会(不定期)、お話会(年数回) 義眼の必要な子供達のためのツールの発行、情報発信などを行っています。

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website  https://mamorigamenokai.wixsite.com/info/

小児の義眼の会「まもりがめの会」

小児の義眼の会「まもりがめの会」が発行する義眼についての情報です。 会のニュースや、小児の義眼についての情報、コラムなどを掲載いたします。

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